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Milton Bennett 博士によるセミナー 参加者報告書

コンテキスト意識を育成する:構成主義パラダイムによる異文化コミュニケーション能力へのアプローチ」に参加して

                                                               報告者:八島智子(関西大学)

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 「異文化感受性発達モデル」(DMIS: Developmental Model of Intercultural Sensitivity)の提唱者として名高いミルトン・ベネット博士の12年ぶりの日本での研修会があると聞いて心を躍らせたのは私だけではないであろう。以前定期的に行われていたベネットセミナーの常連であった私にとって、今回のセミナーも心地よい興奮の連続であった。50人を越える参加者で部屋は熱気に包まれた。テンポが早く、よく整理され、しかも凝縮した内容、人を引き込む話術は変わらず健在だ。多くの示唆があったが、特に心に残った点をいくつかまとめてみたい。(筆者の理解を越える部分もあったので、内容の偏りや解釈の間違いがあればご容赦いただきたい。)

 

コンテキスト意識

 人は異文化接触の結果、文化差をより強く意識するようになるということが、ホフステッドの研究で明らかにされている。そうするとグローバル化する世界の課題は、接触すればするほど差異を感じやすくなる隣人と、いかに共存をしていけるかということになる。そのために必要な異文化間能力を養うために必要となるのが、今回のセミナーのキーワードとも言える、コンテキスト意識(contextual consciousness)である。これは、自らがどのような(個人的・文化的・組織的)コンテキストにいるのかを鋭敏に認識できることと、自分のコンテキストから、他の(個人的・文化的・組織的)コンテキストに視点をシフトするための自己内省能力をさす。ここでいう意識とは、Julian Jaynesに依拠しており、人類の歴史のなかで比較的新しいものであるという。古代の人間には私(I)という意識はなく、聞こえてくる声(神の声)に従うだけの存在であった。しかし今でも、人間はストレスが高まると意識が漂流し、古い無意識の状態に戻ってしまう。聞こえてくる声に、権威の声に盲従してしまう危険性は常にある。

 他者を自己と同じ意識を持った存在と捉え、他者の視点で自分を捉えること(Me)が、他者・他グループと共存する第一歩だとすれば、多文化共存の環境を創るためには、私たちひとりひとりの意識(コンテキスト意識)の発達が必要ということであろう。

 

構築主義的パラダイムへ

 パラダイムの歴史的変遷を、有史前から啓蒙主義へ、さらには ニュートンの不変主義からアインシュタインの相対主義、そして量子力学に基づく構成主義パラダイムへと辿った。普遍主義では、「事実」は 客観的に観察できるものとして存在する。相対主義では、自らの視点によって「事実」は見え方が違うと考える。構成主義では、「事実」の真偽はコンテキストによって決まると考える。構成主義では、リアリティを、自分と他者や環境との相互作用のなかで創られていくと考え、文化を、apriori にあるものとして捉えるのでなく、集団でリアリティを構築してくプロセスであり、その産物と捉える。異文化理解の基礎として、我々に馴染みのある相対主義的パラダイムでは、様々な視点を相対化するが、それだけでは現在の世界が抱える問題を解決できない。その弱点を克服するためには構成主義的なアプローチと、新たな意識の段階に到達することが必要となる。構成主義では、人間の「意図と期待」が、物事の起こる蓋然性に影響すると考える。それならば、より良い環境を作るためには、わたしたち一人ひとりが良質で、一貫性のある、「意図や期待」を持つ必要があるということになる。

 

 構築主義にみた異文化間能力の発達

 構成主義は確かに新たな意識の段階に到達することを前提とするが、これまで日本の異文化コミュニケーション研究者やトレーナーに馴染みのある「異文化感受性発達モデル」や、DIE、 エスノセントリズムを克服するためのトレーニングは、そもそも構成主義的なアプローチと言えるので、全く新しいことをしないといけないわけではない。むしろ、これらが構成主義的であることを再認識し、自らの実践に新たな光を当ててみること、そしてそこに彼が避けるべきという、パラダイムの混同や混乱はないかチェックしてみること。つまり構築主義的な教育・研究・実践のなかで ─ 固定的・本質主義的な文化の特徴を提示したり、単純な因果関係を求めたり、すぐ活用できるノウハウを提示するのでなく─ 意識の発達を促すことができているかをチェックすること。それによって、構成主義的に一貫性のある洗練された実践に至ることができるであろう。

 「異文化感受性発達モデル」において、エスノセントリックからエスノレラティブな段階に移行するための鍵として挙げられたのは、次の3点である。

 

             1.    統一性と多様性の折り合いをどうつけるか。つまり多様性を尊重しながら、統一性を実現する

                     には  どうすればよいかを考えること。
             2.    一方が他方に同化するのでなく、相互適応(co-adaption) を通して第3の文化を作り出すこと。
             3.    相対主義を実践しつつ、倫理的なコミットメントをすることである。これは、複数の正当な

                    オプションを考慮し、その選択に真摯にコミットすることを意味する。

 個人的には、特に最後の倫理性という点が心に強く響いた。責任をもった選択、それは誰かの声に盲従するよりはるかに難しく、エネルギーも必要だ。相対主義に依拠し、文化の違いに寛容になり柔軟になることを学び、それを教えてきた私たちは、さらに新たな一歩を踏み出す必要がある。我々が生きている現実は私たちの集団的な選択の結果であるので、そのプロセスに自覚的になり責任を持たなければならないということであろう。つまり、エイジェンシーを行使するための「意識」を発達させなければならないということなのだろう。

 

 以上、学びの多い、充実した一日であった。これを機に、新なミルトン・べネット・セミナーシリーズが始まることを期待したい。

 

 

2016年度第2回関東地区研究会

ミルトン・ベネット博士による一日研修会 2017年3月12日 順天堂大学

概要:
  Much of the chaos in the world today may be due to a changing paradigm. The scientific rationalism that began in Europe and that has influenced the rest of the world is giving way to relativism. Relativism is familiar in Japanese culture, where it has been embraced since well before the European enlightenment. But it is a new and uncontrolled force in Western societies, where familiar truth is lost and new ways of being are not yet formed. Hatred and xenophobia fill the void, creating mortal danger for cultural difference.
  Now is the time that interculturalists must rise to a new level of expertise. It is insufficient for us to continue advocating tolerance or even the value of cultural difference. The crucial next step is to define a new form of consciousness that is adapted to living in a world of multiple interconnected contexts.
  This session will show how the dangers of relativism can be resolved with the next paradigm, constructivism. Participants will explore how to improve their own understanding of the new paradigm and how to use it to guide intercultural education and training towards developing intercultural consciousness. Specifically, participants will learn how to avoid the “paradigmatic confusion” associated with many approaches to intercultural competence and how to use the Developmental Model of Intercultural Sensitivity (DMIS) in more sophisticated and practical ways.

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