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「Reconciling the Dilemmas of Intercultural Consciousness: Constructing Self-Reflexive Agency(異文化間意識のジレンマを調和させる:自己再帰的なエージェンシー[メタ意識]を構築する)」に参加して

 

三河内彰子(東京大学)

 

背景:相対主義の次の段階へ

  今回、山本志都先生より基調講演の報告書の執筆依頼を受け、改めて学会企画の趣旨についておさらいをした。事前のウエブサイトでのお知らせには、2017年の本学会関東地区研究会でDr. Milton Bennett(以下、ベネット先生)を招いた講演会の続きを聞くこと、前回の終わりに相対主義の次の段階について話が及んだことが挙げられていた。この、「相対主義の次の段階」というのは今回の多文化関係学会のテーマである「相対主義のジレンマを超えて」であり、今回の基調講演は、ベネット先生が本テーマに答える形で話を展開し、ジレンマに対峙している参加者一人ひとりが、日々の活動を省み、明日からどう取り組むか考える機会を与えてくださったといえる。 

  本基調講演は単独でも成立するが、前日に開催されたDMISセミナーの続きともいえる。セミナーでは、司会を務められた山本先生曰く、ベネット先生は30年前からすでに同じ構想があって話をされている(始まりは1972年の国際基督教大学での会議、そして1986年に発表)。しかし、当時は異文化間コミュニケーションが相対主義に基づく「適応」という文脈で話された。今「構成主義」が異文化間コミュニケーションで語られるようになったからこそ再度ご招待したと。この言葉が異文化間コミュニケーション論のこの30年の変化を象徴しているように感じた。

  では、相対主義と構成主義では具体的に何がどう違うのだろうか? 現在の社会において異文化間コミュニケーションを構成主義的に捉える意義とは何なのか? どうすれば自己や他者の文化を構成主義的に捉えられるようになるのか、また、教育をどのように行えばよいのか? 様々な疑問を持つ基調講演の参加者に対して、基調講演の副題「自己再帰的なエージェンシー[メタ意識]を構築する(Constructing Self-Reflexive Agency)」が欠かせないポイントとなる。以下の報告でより詳しく触れるが、メタ意識(Metaconsciousness)とはメタレベルで自覚的に自己再帰的になることである。メタ意識を行使することで、文化が人によりつくられたことに気づき、異文化集団に属する人々が互いを再構成しあいながら世界で共存し得る新たな道を構築する可能性が開けることが強調された。

  しかし、相対主義的なアプローチから構成主義的なアプローチをとることは、理論として理解できるとしても、実行するとなるとたやすいことではない。だからこそ、ベネット先生の話は、個々の文化の内容よりも、文化をとらえるために、まずは現実のとらえ方、人の意識や経験などに始まり、凝縮した内容は多岐にわたった。冒頭、この意識、つまり、自己という感覚を持つにいたった自己再帰的意識としての意識が、人類に初めから備わっていたわけではなかったという知見からスタートした。驚いたことに、人類史の大部分を、人はその意味での意識を持たずに生きながらえていたという。これを聴くと、先天的ではないからこそ、意識的になることに注意を払わなければいけないと思わされる。流れるような名講演の後、コメンテーターの鳥飼玖美子先生との問答が、さらに内容を解きほぐし、理解を深化させ、今後とるべき行動へと橋渡しをしてくれた。以下の報告では、講演後の鳥飼先生や聴衆のやり取りを鑑み、ベネット先生ならではの指摘で心に残った点として、構成主義的なアプローチになぜメタ意識が必須であるのかというと点と、そのことで相対主義のジレンマをどう乗り越えられるのかに焦点を絞って報告を行う。

 

相対主義がハイジャックされた

  そもそも、今まさにジレンマを生じさせている相対主義がエドワード・ホール(Edward T. Hall)によって文化比較に持ち込まれた背景こそに、現在に通じる異文化間コミュニケーション(intercultural communication)での困難が存在しており、ひいては他者とお互いの経験を共有するにはどうしたらよいのかという、文化を超えた経験の理論への突破口が期待されていると言える。ベネット先生はホールが異文化間コミュニケーションの創設者の一人であり、それ以前の西洋至上主義の文化比較(前日の話から引用すると、西洋をより文明化した文化と優位付け、唯一の基準とみなすために、他の文化はそれより劣るものとして比較していたことを挙げている)に対して、西洋も含めあらゆる集団に独自のコンテキストが存在し、異なるコンテキストに異なる文化があると理解できる文化相対主義(cultural relativism)という新たな視点をもたらした。

  個々の集団の文化が善し悪しでなく違いとして尊重されて50年、ベネット先生の言葉を借りると、今まさに相対主義は「ハイジャックされている」という。本来は、西洋中心主義によって周辺に追いやられていた存在を尊重するための視点であったが、尊重すればするほど[独立した存在となり]、たとえ相手を憎むような集団であっても、違いは認められなければならないとして権利を主張するようになった。この相対主義の乗っ取りはホールの当初の意図とはかけ離れた状況[集団間での断絶、互いの文化に入っていくようなことができない状況]が生み出された。

  ベネット先生曰く、この状況では独裁的な「私に考えを任せなさい」という指導者にゆだねて絶対主義にもどるか、この世に存在することに意識的になり、意識することに自覚的になることで、新たな道を構築する構成主義的なパラダイムへ前進するかのいずれかの2択だと。ベネット先生は後者のメタ意識を行使することで開ける可能性を強調された。

  つまり、そもそも自己も他者も私たちが生み出した産物であり、その構築のプロセスがあったことにメタレベルで気づくことができると、自分が自己を定義できる自由を得られ、それと同時に、他者は「自分以外」という自分との関係から定義されていることも認識できるようになる。結果、他者の定義にも自身に責任があると自覚できる。その関係性に気づくことで相対主義的の名のもとに自己と他者を分けてしまった異文化間コミュニケーションを見直し、新たな方向性へ進むことができるということなのだ。

  ここでベネット先生は、冒頭で紹介した意識の起源の研究を行ったジュリアン・ジェインズ(Julian Jaynes)の研究から引用して、メタファーとしての私(me)という考えを作り出したことで、meの行為主体となれる私(I)を獲得し、さらに他者に対し人間同士とみなせる視点を得たという点を挙げた。このプロセスは、互いが互いを作りあう関係を生む。ジェインズは、逆に自己を意識しないように抑制することも可能であり、そうすると自己は無意識に陥り、他者の抑圧を引き起こす可能性も示唆している。先ほどの「私に考えをゆだねなさい」という独裁的な指導者は、複雑で困難な社会ではとかく支持されがちであり、実際にそのような指導者が存在するが、考えをゆだねるということは、自己抑制に陥るということなのだ。意識を止めるということは非常に危険な状況をまねくということが強調された。だからこそ、そうならないようにメタ意識を発達させる必要がある。

 

モノに名を与えるという行為は、与えなかったモノにも名を与えているという行為

  自己の定義は、同時に自己と自己以外との間に境界を引いていることを忘れてはならない。ベネット先生はジョージ・スペンサー=ブラウン(George Spencer Brown)から引用し、何かを指し示す時、指し示されたものは図(figure)となり、ただちにその他が地(ground)として背景に回る。つまり、図と地の境界を引くことなしに何かを指し示すことはできないという。例えば、花瓶を認識する際、無意識にその周囲の空間と花瓶との間に境界線を引いていて、花瓶に注目しているからこそ、周囲の空間は背景にまわる。講演会場では、花瓶の背景の空間に注目すると向き合う2人の横顔が浮き上がってくる多義図形が投影され、参加者は花瓶が背景として見えなくなったり、逆にまた花瓶に注目すると横顔が背景になることを体感した。このような花瓶や横顔といった注目している一つのまとまりとそれらの背景部分とをそれぞれ図(figure)と地(ground)と呼ぶ。図地の分化(区別)によってはじめてモノを指し示すことができる。

  ベネット先生は図地の分化からさらに言語の世界に展開してゆく。例として「木」を取り上げて、木を定義すると同時に「木以外のものすべて」(例えば鳥にせよ人にせよ)が区別されることを示す。しかし、その中から一つの側面を名付けて木の対義語とするとしたら、何になるだろうか?と問いかける。そしてこの仕組みがジレンマを生むという。木の対義語が地面ならジレンマとはならないかもしれないが、例えば単一/統一(unity)と多様性(diversity)という分化であれば、ジレンマや衝突を生むことは想像に難くない。つまり、現在世に存在するこの二項対立はそもそも人が作り出したものなのである。

個人的な解釈を交えると、このように分け、分けたことに基づいた経験をし、それを日々個人的にそして集団的に行うことで、さらにその定義が強められたり、弱められて変化して行ったりするといえる。それが繰り返されるうちに人は初めに定義を作りだしたこと自体を忘れ、その定義が外在する所与のものであるかのように認識するようになる。いわゆるバーガーとルックマン(Berger and Luckmann)のいうところの物象化(reification)である。作るプロセスは意識されず、抜け落ちてゆく。これが相対主義のハイジャックをもたらす。逆に物象化されたものを意識的に再構成することで脱物象化する(de-reify)と、二項対立の静的な見方をその二つのモノの間での対話(dialectic)によって動的に和らげる(reconcile)方法を見出すことが期待できる。

  ベネット先生は、これまで異文化間コミュニケーションのトレーニングなどで重宝される文化を氷山にみたてるという比喩も適切ではないと指摘された。会場からは氷山の比喩は生徒にもわかりやすく、多用しているのになぜ?といった反応が見られた。それに対してベネット先生はなじみの実証主義的な比喩だからこそわかりやすいのだと目からうろこの指摘をされた。氷山の比喩は静的で物象化した文化のイメージであり、目指している次の段階がよって立つ構成主義的なパラダイムとは違うのでもう使えないということを意味していると推察する。

  今後は、文化は浮かんでいる静的なモノとしての氷ではなく、構成主義的で動的な渓谷に流れる川で喩えられるという。渓谷は初めからその形をして存在しているのではなく、時をかけて川底を削ることでつくられる。川の勢いや岸でまげられたりするうちに流れる方向が定まる。川自身が日々周りとの相互作用で渓谷を築いている。個人的には、多様な文化が存在しているということは、様々な川があるのと同じで、川が日々流れることで渓谷を築くように、集団の日々の行い、時には個人の行いを通して多様な文化が作られ、変えられたりしてきた、ととらえた。

  文化は何かそこにあるモノを身につけているのではなく(it’s not something we have)、自身が行使し作り上げていっている現在進行形の行為そのものだ(it’s something we are doing)と自覚的に意識できることで、他者の文化もその他者によってつくられていることを共感の下に意識することができる。そのことで、自文化と他文化ひいては自己と他者の存在を、所与のものとして無責任に突き放すことはせず、自分のそして相手の境界の引き方を理解することで、ともに自他の境界を調整しあい、構成主義的に再構成する方向で新たな実行可能な他の経験へと至るというものだ。

  では日々どのような実践をすればよいのだろうか。実際に持続可能な異文化感受性をどのようにもたらすかという問題に関してベネット先生は、これまでは自文化中心の人をDMISでいうところの「防御(defense)」から「最小化(minimization)」へ、そして「最小化」から「受容(acceptance)」や「適応(adaptation)」に変えようとしていたが、それには多大な労力を費やすもので時間の無駄になっていたとし、今後は、私たちのメタ意識の質を高めつつ、既に自文化中心主義から文化相対主義のなかでもこれまでとは違う方向に向こうとし始めている人達に働きかけることが、大きな変革をもたらす力になると指摘された。例えば、学内で既に外国人を相手とすることに積極的な教員にまずワークショップをすると良いと。ベネット先生は実際にその方法でほんの数名の教員から、学期中にそれまで好意的でなかった非常に多くの人を巻き込むことができたそうだ。

 

日本で開催された意義

  今回の基調講演を拝聴し、限られた時間の中でベネット先生が一つ一つの概念をその背景となる理論にさかのぼってかなりの時間を割いて丁寧に話された姿が印象的であった。そこに、日本社会において開催された1つの大きな意義があると感じた。なぜなら、現代社会は絶対主義的な世界観や乗っ取られた相対主義的な世界観が流布し、特に日本では知識(何が知識かということがまず問題だが、ここではそれさえ問うことのない普遍的な知識とでもいっておこう)を積み重ねることで世界観が豊かになるイメージが強い。つまり、何をするにもまずこの普遍的知識をスキルを使って詰め込む必要があるといった見方は根強く、様々な衝突を内蔵する複雑な問題に対して妥当な知識が見いだせないまま打開策を立てられない現状があるからだ。根底の考え方を変えないままで、構成主義的なアプローチを知っても、そちらに舵を切ることは難しい。

  特に会場からの質問や前日のセミナー及び交流会から気づいたが、参加者にはアカデミアや企業など広義の意味で教育現場を持つ方が多く、異文化コミュニケーション×学びという関心事の方が多かったと拝察する。今回の新たなカギとして提示された考え方—他の可能性を経験する―とは、まさに経験を広げる、新たな世界を「学ぶ」ことであり、その点で今後各自の現場でメタ認識を伴うDMISがどのように応用されるか興味深い。個人的なことになるが、前世紀末、構成主義的な学習観がアカデミアで議論となり始めたころ、私は国際基督教大学で教育工学コミュニケーションの分野を専攻し、卒論で教授・学習理論における構成主義の文献研究を行った。大学院の実証研究は心理学をベースに、特に認知科学の分野で行っていたが、観察すればするほど「構成主義的」なプロセスが観え、人の学びは社会的で文脈依存であるという考え方につながり、まさに「日常世界の構築」に興味を持って、ついには文化人類学(なかでも科学人類学)に転向し、実践現場も教室からより多様な人々と専門性が行き交うミュージアムに移すこととなった。あれから四半世紀、今また学校現場にフィールドを戻したところ、まさに、教育界は構成主義的な学習論に基づいた教育へ移行しつつある。一方で、教師はそのような教育を生徒としても教師としても受けておらず、変化に対して非常に大きなジレンマを抱えている。今回の基調講演はその行く手に一筋の光を落としてくれた。

  基調講演の最後に、司会の山本先生が自身の実践の経験を振り返り、時代的に実証主義的なトレーニングから始まり、氷山の比喩を使った実践を経て、最近ようやく構成主義的にやれるようになったとのことでした。そして現在構成主義的アプローチによる大学1,2年生向けの異文化コミュニケーショントレーニングの本をベネット先生、山本先生、石黒武人先生、岡部大祐先生で出す予定だそうだ(2020年に三修社から出版予定)。出版が待ち遠しい。

 

謝辞

  最後に、今回は学会初参加である私を温かく受け入れていただいた皆様に感謝を申し上げます。初参加でしたので、山本先生から基調講演の報告書の依頼があった時には少々驚きましたが、初参加の視点から皆様のお役に立てるのならと、お礼の意も込めて執筆をお引き受け申し上げました。前日のセミナー後の「ハッピーアワー」、「居酒屋交流会with Bennett」でも、初対面ですぐに互いが直面している事象について本音で交流でき、本学会に参加する皆様の異文化間コミュニケーション能力の高さと包容力に背中を押されました。Bennett先生、山本先生をはじめ皆様にあらためて感謝申し上げます。また、基調講演で同時通訳者としてお名前の挙がった故斎藤美津子先生にもこの場を借りて深謝の意を表したいと思います。斉藤先生には四半世紀前、国際基督教大学の一般教養の授業で(今回改めて振り返ると)文脈依存で動的なコミュニケーション論の世界にいざなっていただきました。交流会で他の方からも斎藤先生のお名前が挙がり、自分の世界観のルーツの一つを発見することができました。今後も本学会がホールの意図した異文化間コミュニケーションのスピリッツの下に相対主義のジレンマを超える支えの中心となることを期待します。

三河内彰子(2020)「『Reconciling the Dilemmas of Intercultural Consciousness: Constructing Self-Reflexive Agency(異文化間意識のジレンマを調和させる:自己再帰的なエージェンシー[メタ意識]を構築する)』に参加して」多文化関係学会ニュースレター36 5-8
三河内彰子先生報告書のPDFはこちらでダウンロードできます。

Milton Bennett博士による基調講演の当日発表資料のダウンロード

Keynote Speech PPT downlaod

Richard Evanoff先生(青山学院大学)と三河内彰子先生(東京大学)による報告書が多文化関係学会ニュースレター第36号に掲載されています。ダウンロード

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「Reconciling the Dilemmas of Intercultural Consciousness: Constructing Self-Reflexive Agency(異文化間意識のジレンマを調和させる:自己再帰的なエージェンシー[メタ意識]を構築する)」に参加して

 

三河内彰子(東京大学)

 

背景:相対主義の次の段階へ

  今回、山本志都先生より基調講演の報告書の執筆依頼を受け、改めて学会企画の趣旨についておさらいをした。事前のウエブサイトでのお知らせには、2017年の本学会関東地区研究会でDr. Milton Bennett(以下、ベネット先生)を招いた講演会の続きを聞くこと、前回の終わりに相対主義の次の段階について話が及んだことが挙げられていた。この、「相対主義の次の段階」というのは今回の多文化関係学会のテーマである「相対主義のジレンマを超えて」であり、今回の基調講演は、ベネット先生が本テーマに答える形で話を展開し、ジレンマに対峙している参加者一人ひとりが、日々の活動を省み、明日からどう取り組むか考える機会を与えてくださったといえる。 

  本基調講演は単独でも成立するが、前日に開催されたDMISセミナーの続きともいえる。セミナーでは、司会を務められた山本先生曰く、ベネット先生は30年前からすでに同じ構想があって話をされている(始まりは1972年の国際基督教大学での会議、そして1986年に発表)。しかし、当時は異文化間コミュニケーションが相対主義に基づく「適応」という文脈で話された。今「構成主義」が異文化間コミュニケーションで語られるようになったからこそ再度ご招待したと。この言葉が異文化間コミュニケーション論のこの30年の変化を象徴しているように感じた。

  では、相対主義と構成主義では具体的に何がどう違うのだろうか? 現在の社会において異文化間コミュニケーションを構成主義的に捉える意義とは何なのか? どうすれば自己や他者の文化を構成主義的に捉えられるようになるのか、また、教育をどのように行えばよいのか? 様々な疑問を持つ基調講演の参加者に対して、基調講演の副題「自己再帰的なエージェンシー[メタ意識]を構築する(Constructing Self-Reflexive Agency)」が欠かせないポイントとなる。以下の報告でより詳しく触れるが、メタ意識(Metaconsciousness)とはメタレベルで自覚的に自己再帰的になることである。メタ意識を行使することで、文化が人によりつくられたことに気づき、異文化集団に属する人々が互いを再構成しあいながら世界で共存し得る新たな道を構築する可能性が開けることが強調された。

  しかし、相対主義的なアプローチから構成主義的なアプローチをとることは、理論として理解できるとしても、実行するとなるとたやすいことではない。だからこそ、ベネット先生の話は、個々の文化の内容よりも、文化をとらえるために、まずは現実のとらえ方、人の意識や経験などに始まり、凝縮した内容は多岐にわたった。冒頭、この意識、つまり、自己という感覚を持つにいたった自己再帰的意識としての意識が、人類に初めから備わっていたわけではなかったという知見からスタートした。驚いたことに、人類史の大部分を、人はその意味での意識を持たずに生きながらえていたという。これを聴くと、先天的ではないからこそ、意識的になることに注意を払わなければいけないと思わされる。流れるような名講演の後、コメンテーターの鳥飼玖美子先生との問答が、さらに内容を解きほぐし、理解を深化させ、今後とるべき行動へと橋渡しをしてくれた。以下の報告では、講演後の鳥飼先生や聴衆のやり取りを鑑み、ベネット先生ならではの指摘で心に残った点として、構成主義的なアプローチになぜメタ意識が必須であるのかというと点と、そのことで相対主義のジレンマをどう乗り越えられるのかに焦点を絞って報告を行う。

 

相対主義がハイジャックされた

  そもそも、今まさにジレンマを生じさせている相対主義がエドワード・ホール(Edward T. Hall)によって文化比較に持ち込まれた背景こそに、現在に通じる異文化間コミュニケーション(intercultural communication)での困難が存在しており、ひいては他者とお互いの経験を共有するにはどうしたらよいのかという、文化を超えた経験の理論への突破口が期待されていると言える。ベネット先生はホールが異文化間コミュニケーションの創設者の一人であり、それ以前の西洋至上主義の文化比較(前日の話から引用すると、西洋をより文明化した文化と優位付け、唯一の基準とみなすために、他の文化はそれより劣るものとして比較していたことを挙げている)に対して、西洋も含めあらゆる集団に独自のコンテキストが存在し、異なるコンテキストに異なる文化があると理解できる文化相対主義(cultural relativism)という新たな視点をもたらした。

  個々の集団の文化が善し悪しでなく違いとして尊重されて50年、ベネット先生の言葉を借りると、今まさに相対主義は「ハイジャックされている」という。本来は、西洋中心主義によって周辺に追いやられていた存在を尊重するための視点であったが、尊重すればするほど[独立した存在となり]、たとえ相手を憎むような集団であっても、違いは認められなければならないとして権利を主張するようになった。この相対主義の乗っ取りはホールの当初の意図とはかけ離れた状況[集団間での断絶、互いの文化に入っていくようなことができない状況]が生み出された。

  ベネット先生曰く、この状況では独裁的な「私に考えを任せなさい」という指導者にゆだねて絶対主義にもどるか、この世に存在することに意識的になり、意識することに自覚的になることで、新たな道を構築する構成主義的なパラダイムへ前進するかのいずれかの2択だと。ベネット先生は後者のメタ意識を行使することで開ける可能性を強調された。

  つまり、そもそも自己も他者も私たちが生み出した産物であり、その構築のプロセスがあったことにメタレベルで気づくことができると、自分が自己を定義できる自由を得られ、それと同時に、他者は「自分以外」という自分との関係から定義されていることも認識できるようになる。結果、他者の定義にも自身に責任があると自覚できる。その関係性に気づくことで相対主義的の名のもとに自己と他者を分けてしまった異文化間コミュニケーションを見直し、新たな方向性へ進むことができるということなのだ。

  ここでベネット先生は、冒頭で紹介した意識の起源の研究を行ったジュリアン・ジェインズ(Julian Jaynes)の研究から引用して、メタファーとしての私(me)という考えを作り出したことで、meの行為主体となれる私(I)を獲得し、さらに他者に対し人間同士とみなせる視点を得たという点を挙げた。このプロセスは、互いが互いを作りあう関係を生む。ジェインズは、逆に自己を意識しないように抑制することも可能であり、そうすると自己は無意識に陥り、他者の抑圧を引き起こす可能性も示唆している。先ほどの「私に考えをゆだねなさい」という独裁的な指導者は、複雑で困難な社会ではとかく支持されがちであり、実際にそのような指導者が存在するが、考えをゆだねるということは、自己抑制に陥るということなのだ。意識を止めるということは非常に危険な状況をまねくということが強調された。だからこそ、そうならないようにメタ意識を発達させる必要がある。

 

モノに名を与えるという行為は、与えなかったモノにも名を与えているという行為

  自己の定義は、同時に自己と自己以外との間に境界を引いていることを忘れてはならない。ベネット先生はジョージ・スペンサー=ブラウン(George Spencer Brown)から引用し、何かを指し示す時、指し示されたものは図(figure)となり、ただちにその他が地(ground)として背景に回る。つまり、図と地の境界を引くことなしに何かを指し示すことはできないという。例えば、花瓶を認識する際、無意識にその周囲の空間と花瓶との間に境界線を引いていて、花瓶に注目しているからこそ、周囲の空間は背景にまわる。講演会場では、花瓶の背景の空間に注目すると向き合う2人の横顔が浮き上がってくる多義図形が投影され、参加者は花瓶が背景として見えなくなったり、逆にまた花瓶に注目すると横顔が背景になることを体感した。このような花瓶や横顔といった注目している一つのまとまりとそれらの背景部分とをそれぞれ図(figure)と地(ground)と呼ぶ。図地の分化(区別)によってはじめてモノを指し示すことができる。

  ベネット先生は図地の分化からさらに言語の世界に展開してゆく。例として「木」を取り上げて、木を定義すると同時に「木以外のものすべて」(例えば鳥にせよ人にせよ)が区別されることを示す。しかし、その中から一つの側面を名付けて木の対義語とするとしたら、何になるだろうか?と問いかける。そしてこの仕組みがジレンマを生むという。木の対義語が地面ならジレンマとはならないかもしれないが、例えば単一/統一(unity)と多様性(diversity)という分化であれば、ジレンマや衝突を生むことは想像に難くない。つまり、現在世に存在するこの二項対立はそもそも人が作り出したものなのである。

個人的な解釈を交えると、このように分け、分けたことに基づいた経験をし、それを日々個人的にそして集団的に行うことで、さらにその定義が強められたり、弱められて変化して行ったりするといえる。それが繰り返されるうちに人は初めに定義を作りだしたこと自体を忘れ、その定義が外在する所与のものであるかのように認識するようになる。いわゆるバーガーとルックマン(Berger and Luckmann)のいうところの物象化(reification)である。作るプロセスは意識されず、抜け落ちてゆく。これが相対主義のハイジャックをもたらす。逆に物象化されたものを意識的に再構成することで脱物象化する(de-reify)と、二項対立の静的な見方をその二つのモノの間での対話(dialectic)によって動的に和らげる(reconcile)方法を見出すことが期待できる。

  ベネット先生は、これまで異文化間コミュニケーションのトレーニングなどで重宝される文化を氷山にみたてるという比喩も適切ではないと指摘された。会場からは氷山の比喩は生徒にもわかりやすく、多用しているのになぜ?といった反応が見られた。それに対してベネット先生はなじみの実証主義的な比喩だからこそわかりやすいのだと目からうろこの指摘をされた。氷山の比喩は静的で物象化した文化のイメージであり、目指している次の段階がよって立つ構成主義的なパラダイムとは違うのでもう使えないということを意味していると推察する。

  今後は、文化は浮かんでいる静的なモノとしての氷ではなく、構成主義的で動的な渓谷に流れる川で喩えられるという。渓谷は初めからその形をして存在しているのではなく、時をかけて川底を削ることでつくられる。川の勢いや岸でまげられたりするうちに流れる方向が定まる。川自身が日々周りとの相互作用で渓谷を築いている。個人的には、多様な文化が存在しているということは、様々な川があるのと同じで、川が日々流れることで渓谷を築くように、集団の日々の行い、時には個人の行いを通して多様な文化が作られ、変えられたりしてきた、ととらえた。

  文化は何かそこにあるモノを身につけているのではなく(it’s not something we have)、自身が行使し作り上げていっている現在進行形の行為そのものだ(it’s something we are doing)と自覚的に意識できることで、他者の文化もその他者によってつくられていることを共感の下に意識することができる。そのことで、自文化と他文化ひいては自己と他者の存在を、所与のものとして無責任に突き放すことはせず、自分のそして相手の境界の引き方を理解することで、ともに自他の境界を調整しあい、構成主義的に再構成する方向で新たな実行可能な他の経験へと至るというものだ。

  では日々どのような実践をすればよいのだろうか。実際に持続可能な異文化感受性をどのようにもたらすかという問題に関してベネット先生は、これまでは自文化中心の人をDMISでいうところの「防御(defense)」から「最小化(minimization)」へ、そして「最小化」から「受容(acceptance)」や「適応(adaptation)」に変えようとしていたが、それには多大な労力を費やすもので時間の無駄になっていたとし、今後は、私たちのメタ意識の質を高めつつ、既に自文化中心主義から文化相対主義のなかでもこれまでとは違う方向に向こうとし始めている人達に働きかけることが、大きな変革をもたらす力になると指摘された。例えば、学内で既に外国人を相手とすることに積極的な教員にまずワークショップをすると良いと。ベネット先生は実際にその方法でほんの数名の教員から、学期中にそれまで好意的でなかった非常に多くの人を巻き込むことができたそうだ。

 

日本で開催された意義

  今回の基調講演を拝聴し、限られた時間の中でベネット先生が一つ一つの概念をその背景となる理論にさかのぼってかなりの時間を割いて丁寧に話された姿が印象的であった。そこに、日本社会において開催された1つの大きな意義があると感じた。なぜなら、現代社会は絶対主義的な世界観や乗っ取られた相対主義的な世界観が流布し、特に日本では知識(何が知識かということがまず問題だが、ここではそれさえ問うことのない普遍的な知識とでもいっておこう)を積み重ねることで世界観が豊かになるイメージが強い。つまり、何をするにもまずこの普遍的知識をスキルを使って詰め込む必要があるといった見方は根強く、様々な衝突を内蔵する複雑な問題に対して妥当な知識が見いだせないまま打開策を立てられない現状があるからだ。根底の考え方を変えないままで、構成主義的なアプローチを知っても、そちらに舵を切ることは難しい。

  特に会場からの質問や前日のセミナー及び交流会から気づいたが、参加者にはアカデミアや企業など広義の意味で教育現場を持つ方が多く、異文化コミュニケーション×学びという関心事の方が多かったと拝察する。今回の新たなカギとして提示された考え方—他の可能性を経験する―とは、まさに経験を広げる、新たな世界を「学ぶ」ことであり、その点で今後各自の現場でメタ認識を伴うDMISがどのように応用されるか興味深い。個人的なことになるが、前世紀末、構成主義的な学習観がアカデミアで議論となり始めたころ、私は国際基督教大学で教育工学コミュニケーションの分野を専攻し、卒論で教授・学習理論における構成主義の文献研究を行った。大学院の実証研究は心理学をベースに、特に認知科学の分野で行っていたが、観察すればするほど「構成主義的」なプロセスが観え、人の学びは社会的で文脈依存であるという考え方につながり、まさに「日常世界の構築」に興味を持って、ついには文化人類学(なかでも科学人類学)に転向し、実践現場も教室からより多様な人々と専門性が行き交うミュージアムに移すこととなった。あれから四半世紀、今また学校現場にフィールドを戻したところ、まさに、教育界は構成主義的な学習論に基づいた教育へ移行しつつある。一方で、教師はそのような教育を生徒としても教師としても受けておらず、変化に対して非常に大きなジレンマを抱えている。今回の基調講演はその行く手に一筋の光を落としてくれた。

  基調講演の最後に、司会の山本先生が自身の実践の経験を振り返り、時代的に実証主義的なトレーニングから始まり、氷山の比喩を使った実践を経て、最近ようやく構成主義的にやれるようになったとのことでした。そして現在構成主義的アプローチによる大学1,2年生向けの異文化コミュニケーショントレーニングの本をベネット先生、山本先生、石黒武人先生、岡部大祐先生で出す予定だそうだ(2020年に三修社から出版予定)。出版が待ち遠しい。

 

謝辞

  最後に、今回は学会初参加である私を温かく受け入れていただいた皆様に感謝を申し上げます。初参加でしたので、山本先生から基調講演の報告書の依頼があった時には少々驚きましたが、初参加の視点から皆様のお役に立てるのならと、お礼の意も込めて執筆をお引き受け申し上げました。前日のセミナー後の「ハッピーアワー」、「居酒屋交流会with Bennett」でも、初対面ですぐに互いが直面している事象について本音で交流でき、本学会に参加する皆様の異文化間コミュニケーション能力の高さと包容力に背中を押されました。Bennett先生、山本先生をはじめ皆様にあらためて感謝申し上げます。また、基調講演で同時通訳者としてお名前の挙がった故斎藤美津子先生にもこの場を借りて深謝の意を表したいと思います。斉藤先生には四半世紀前、国際基督教大学の一般教養の授業で(今回改めて振り返ると)文脈依存で動的なコミュニケーション論の世界にいざなっていただきました。交流会で他の方からも斎藤先生のお名前が挙がり、自分の世界観のルーツの一つを発見することができました。今後も本学会がホールの意図した異文化間コミュニケーションのスピリッツの下に相対主義のジレンマを超える支えの中心となることを期待します。

熱心にお話をされている三河内彰子先生とミルトン・ベネット先生
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